生きた証は会社ではなく家族に記憶される。


2ヶ月ぐらい前に結構、仕事もできて気遣いも出来る人がいたのですが、定年退職で退社されました。 最初1週間ぐらいはさみしいなー、あのひとがいなくてわからないことがあるなー。 ぐらいに社内の雰囲気がなっていたのですが、 1ヶ月ぐらいするとそのかたがいなくても会社が回ってきました。 会社には個人の記憶する術(すべ)がないと気づきました。 というか個人の記憶なんて会社で働く人はどうでもいいし、自分という存在は「家族」だけに残されるものではないかと最近、思うようになりました。 とんでもない実績を残してスーパーサラリーマンになれたとしても会社はあなたのことを記憶しないということです。 なぜなら、会社というのは役割と機能を編集する装置に過ぎません。 人間の歴史を記憶したりする装置ではない。 あなたがいくら会社で頑張って実績を挙げたとしてもあなたの人生の記憶が会社に残ることはありません。 では自分の人生を記憶してくれる装置はどこにあるのか? それは家族を含めたコミュニティなのです。 いやまさか、あんなに自分に悪態をついている我が息子や娘が。。。 と思われるかもしれません。 しかし、こういう悪態も彼らが自分の居場所を見つけ自信を持つ段階で必ず消えます。 それは自分を振り返ればわかるはずです。 反抗とはそういうものなのです。 自立への胎動だと思えばいいのではないでしょうか。 もし、自分が生きた証を望んでいるとするなら、むしろ大事にしなければいけないのは家族を含めたコミュニティです。 だからこそ私は出世街道を走ろうとするにせよ、捨てること、断ることにぜひ勇気をもって欲しいと思うのです。 私はコロナが流行するに当たって 飲み会を全て断るようになりました。 たくさんのものをやめた結果、私には自分の時間ができました。 自由な思索の時間と、家族で過ごせる時間こをいかに大事であるかを私は改めて知りました あと、サラリーマンの最大のリスクは「上司」だということです。 上司が最悪だとサラリーマンは地獄です   上司のせいで不幸になっているサラリーマンはたくさんいます ロクでもない上司が上にきたらとんでもないリスクが来たと思わないといけない。 ヘタをすると自分の未来に影響する可能性もあります。 だからこそいつでも辞められる準備をするために好きの蓄積と自分の棚卸しをするべきだと思っています。 もしその準備が間に合わず会社も上司の人事を聞いてくれなかったら我慢の一方で「絶対元を取ってやる!!」 くらいの覚悟が必要です。 どんな嫌なやつだったかを小説にしてみるというのもアリかもしれません。      

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